バーチャル治験、という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)の拡大により社会は大きな影響を受けており、日々の生活の中へソーシャルディスタンシングやリモートワークといった新しい行動様式を取り入れていく変化が求められていますが、この変化はヘルスケア領域における医薬品の研究開発においても例外ではありません。
その影響として、医薬品の開発に必要な段階である治験(ヒトを対象とした医薬品・医療機器の有効性および安全性を評価する臨床試験のうち、薬事承認申請目的で実施されるもの)において、新しい試験のあり方であるバーチャル治験と呼ばれる手法への注目が急速に高まっています。
今回は、IT技術の活用が医薬品開発で進められてきた背景をお伝えしつつ、バーチャル治験の一つとして注目されている「治験におけるオンライン診療」への期待についてや、国内に先行してバーチャル治験が実施されている海外での規制および導入事例についてご紹介をします。
医薬品開発における課題とIT技術の活用
近年、高額な医薬品の登場が度々世間を騒がせていますが、その一因となっているのは医薬品の開発に要する莫大なコストです。新薬開発の成功確率低下などの影響を受け、製薬企業1社あたりの年間での研究開発費は高騰しており、2004年には約600億円だったものが2017年には2倍以上の約1400億円へと増加しています(1)。また、一つの新薬上市に必要な開発費用は約1700億円とも言われており、それに加え、10年以上の開発期間を要しているのが現状です(1)。研究開発費の中でも、特に治験にかかるコストと期間は大きな割合をしめます。
そのため医薬品の開発は、いかにコストと期間を削減し、そして成功確率を上げるのかという課題と常に隣合わせにありますが、この課題を解決する手段としてIT技術を活用する動きが取られてきました。
既に治験における活用が広がっているIT技術の代表例としては、症例報告書に必要なデータなどの臨床情報を電子的に収集するElectronic Data Capture(EDC)や、患者自身が症状や服薬情報を電子的に報告するelectronic Patient Reported Outcome(ePRO)が挙げられます。これらのデジタルソリューションは、コストや期間の削減だけではなく、治験におけるデータの質の向上も期待されてきました。
こうしたツールを用いた治験効率化の流れの中で、より様々な治験のプロセスをデジタル技術によって遠隔で行うことによるバーチャル治験の試みが数年前から進んでおり、更に、冒頭に述べたCOVID-19の影響により、これまでは積極的に進められてこなかったオンライン診療の活用という「治験における診療行為の遠隔化」が大きく脚光を浴び始めています。
オンライン診療が治験でも注目されている理由
実臨床におけるオンライン診療については別の記事(2)で紹介されていますが、医薬品の治験のおけるオンライン診療へは、どのようなことが期待されているのでしょうか。
従来の治験では、治験参加の説明を受けるための来院や、参加中に予め決められた頻度での診察を受けるための来院が必須です。決められた時期に頻度の高い来院が必要となることは、例えば、歩行が困難な病気の方や遠方にお住まいの方にとっては、身体的、経済的な負担が決して小さくありません。この負担は、治験への参加率や継続率といった治験のスピードと質に関する影響も大きいことから、治験のコストや期間を短縮することを目指す製薬企業などにとっても悩みの種となっています。オンライン診療は診察を遠隔化することによって、このような患者の負担を軽減できる可能性をもっています。
また、近年では医薬品の効果や安全性に加えて、患者のウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に良好な状態であること)に注目した患者中心の医療(Patient Centricity)が医薬品開発において重視されています。オンライン診療による患者負担の軽減は、このようなPatient Centricityの考え方にも合致する取り組みなのです。
更に、現在は治験のための来院によるCOVID-19への感染リスクが憂慮され、継続が難しくなっている治験も存在しています。Medidata社の調査によると、COVID-19の影響により3月から5月における治験への患者登録が前年同期比で約70%前後減少しているとのことです(3)。
治験におけるオンライン診療は、このような様々な状況が重なっていることで急速に注目と期待が高まっています。
世界の治験におけるオンライン診療に関する指針
オンライン診療を治験で活用するための明確な指針は、国内外いずれも未だ存在していません。しかし、COVID-19下で世界各国で治験におけるオンライン診療の活用検討を促す声明が出されるなど、各国規制当局による指針の整備が進むことが期待され始めています。
アメリカ食品医薬品局(FDA)がCOVID-19の感染拡大を受けて今年の3月に発出したガイダンスでは、患者の安全性を確保するために、従来対面で行われていた診療の代わりに電話やオンライン診療を用いることの検討が推奨されています。更に7月の更新では、オンライン診療(ビデオ通話)を治験へ組み込む際の具体的な留意点について見解が出されています(4)。欧州医薬品庁(EMA)により発出されたガイダンスも同様です(5)。
また、昨年の6月にFDAから医薬品規制調和国際会議(ICH)へ提案され、現在作成が進められているICH E6 GCP revision3には、従来とは異なる治験の方法としてDecentralized trial(いわゆるバーチャル治験)のデザインが盛り込まれる見込みです。オンライン診療は治験のバーチャル化における一つの重要な要素と考えられることから、GCP revision3では治験におけるオンライン診療の具体的な活用方法や留意点について言及されることが期待されます。
海外での導入事例
海外では、ここ数年でバーチャル治験の活用事例が大幅に増えています。米国では、2017年にScience37社のオンライン診療システムをベースとしたプラットフォーム「NORA®」が用いられ、企業が実施する治験として初めて患者が一切来院をしないフルバーチャル治験を完了したことが報告されています(6)。この治験では、患者の募集にかかる期間が約半分に短縮されたことが併せて報告され、期間短縮効果が示されています。翌年の2018年には、ノバルティスファーマ社が「NORA®」を活用して3年の間に新たに10つのバーチャル治験を開始することを宣言をしました(7)。
また、CROのパレクセル社は、これまでに70試験を超えるバーチャル治験の支援をしてきたことを公開しています(8)。
COVID-19への対策としての導入事例も増加しており、Medidata社の調査における医療機関の約45%が従来の来院をオンライン診療へ切り替えていることが示されています(9)
まとめ
今回の記事では「治験におけるオンライン診療」について、注目が高まっている背景から世界の規制当局の指針や導入事例について紹介しました。COVID-19の影響により治験の新しいあり方を取り入れていく動きが加速していく中、オンライン診療は患者中心の治験へ向けた一つのあり方であると考えます。次回はこうした世界の流れを踏まえ、日本における治験でのオンライン診療について紹介していきます。
注釈
(1)https://www.mhlw.go.jp/content/10801000/000398096.pdf
(2)https://dht.micin.jp/telemedicine/telemedicine01/
(8)https://www.parexel.com/solutions/clinical-development-services/decentralized-trials
(9)https://www.medidata.com/wp-content/uploads/2020/05/COVID19-Site-Survey_20200518_v1.pdf