日本で人工呼吸器は増産できるか?

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 新型コロナウイルス感染症(以下、「COVID-19」。) の患者数が世界各国で増加し、それに伴い重症患者数も急激に増えたことにより、ニューヨークなどパンデミック地域における医療関係者は大きな問題と直面することになりました。それは、重症患者の治療に必要な人工呼吸器の数が足りない、ということでした。

各国で人工呼吸器が増産されている

 特に3月半ばから患者が激増したイタリアやニューヨークでは医療現場からの悲鳴に近い要求が聞かれ、各国はすぐに人工呼吸器の増産体制に入りました。

 例えば、アメリカではFDAが人工呼吸器の製造に関する規制緩和を打ち出し、トランプ大統領が4月1日に自動車メーカーに人工呼吸器を製造するよう命令するなど、国家をあげて人工呼吸器の増産体制に入りました。また、テスラ社イーロン・マスク氏が私財を投じて人工呼吸器を製造し、必要とする医療機関に無償提供すると表明したことも話題になりました。

 一方、日本では、各国に比べてまだ患者数増加が抑えられていたこともあり、人工呼吸器増産の要望の声はそこまで大きくありませんでしたが、緊急事態宣言前後から東京を中心に重症者を含め患者数が増加し医療体制が追いつかなくなってきているといった医療現場の切実な声もあり、東京都は重症者対応に必要な体外式膜型人工肺(ECMO)の整備などに予算をつけるといった対策を打ち出しています。

 しかしながら、「海外では医療機器メーカーではない自動車メーカーまでが製造に乗り出して国を上げて対策しているのに日本の対策は限定的だ」「アメリカでは日系自動車メーカーが人工呼吸器の製造に取り掛かっているのになぜ国内では製造しないのか」という声もきかれます。

国内における人工呼吸器増産のハードル

 なぜ、日本の自動車メーカーは人工呼吸器を作らないのでしょうか。それは「医薬品医療機器法」(以下、「薬機法」。)という医療機器の流通規制に関する法律があるためです。

 従来、人の治療や診断、予防に用いる機械はこの薬機法の中で「医療機器」として定義され、安全かつ有効に使用されるように、国が厳密に流通規制を行っています。人工呼吸器ももちろん、医療機器の一つであり、何か不具合があった時に重大な影響が懸念されるリスクの高い医療機器であるとして、クラスIIIというカテゴリに分類される高度管理医療機器になります。(医療機器のクラス分類は4つあり、クラスIIIは2番目にリスクの高い医療機器というカテゴリ。)

 薬機法では、医療機器を製造する企業に対して、「製造販売業許可」と「製造所登録」というものを課しています。

 「製造販売業許可」というのは、必要な人員・組織体制がなされていることを条件に「あなたは医療機器を作ってもいい企業です」と行政が許可を与えることです。第1種〜第3種と3つのクラスがあり、それに応じて応じて企業に求める人員・組織体制も異なります。

 また、「製造所登録」というのは、「この場所で医療機器を製造します」という登録を行政にする必要があるということです。

 人工呼吸器を製造する企業は、まずこの2つの行政的手続きを最低限行わなければなりません。また、人工呼吸器の場合、求められる業許可は「第1種製造販売業許可」というもっとも条件の厳しいものになります。

 この薬機法のもと、日本でアメリカと同じように自動車メーカーがすぐに人工呼吸器の製造をできるでしょうか?ご想像の通り、残念ながら答えは「いいえ」になります。なぜなら、自動車メーカーは業許可を持っておらず、製造所登録もしていないからです。

4月13日の厚労省発表が意味すること

 4月13日、厚労省は人工呼吸器の製造に関連する一つの発表をしました。

 この発表のポイントは2つあります。1つは人工呼吸器の「部品」の製造だけであれば薬機法に基づく上記の2つの対応(業許可取得、製造所登録)は不要であるということ、そしてもう1つは、部品の製造だけでなく組み立てなどの重要な工程を行う場合においては業許可取得が必要にはなるものの、業許可取得のための審査を迅速化する、ということです。

 これが何を意味するのかというと、すでに業許可を持ち人工呼吸器を製造することができる国内医療機器メーカーだけでは人工呼吸器の需要に追いつかなくなったとしても、部品供給という観点で国内に大きな工場や加工技術を持つ自動車メーカーなどが医療機器メーカーを支援することがすぐにでもできるようになったということです。また、その間に業許可を取得していけば、自動車メーカーも人工呼吸器の組み立てができるようになります。

 ところで、人工呼吸器の無償提供を表明したイーロン・マスク氏ですが、作った機械が実は人工呼吸器ではなくBiPAPという別の医療機器だったと判明し、重症のCOVID-19患者の治療には用いられないという後日談もありました。マスク氏の熱意と善意が活かされないというのはとても残念なことですが、それだけ医療機器という専門的な機器の製造には、医学・工学の専門的な知識が必要だということかもしれません。

 今回の厚生労働省の発表は、海外各国の対策と比べると大胆な規制緩和とはいえません。しかしながら、技術を持つ企業と専門知識を持つ企業がタッグを組むことで、安全かつその中でもスピーディに現場に人工呼吸器を提供できる体制を作ったということは、日本独自の選択ともいえるでしょう。

人工呼吸器は増産すればよいのか?

 ここまで、人工呼吸器の増産に関する国内外の話題を簡単にまとめました。一方で、医療現場の声として「人工呼吸器だけ増えても仕方がない」という声も多く聞かれます。人工呼吸器管理は専門的な知識が必要であり、医師であれば誰でも扱えるというものではありません。

 人工呼吸器管理は、時々刻々と変化する患者の呼吸状態に合わせて、人工呼吸器の設定をこまめに変更し、また人工呼吸器に伴う合併症が出ていないかといった監視も同時に必要となる大変緻密な治療戦略が求められます。そのために、医師だけでなく、ICU看護師、臨床工学士、呼吸療法士といった様々な職種の人間がチームでかかりきりとなります。医療関係者から「人工呼吸器だけを増やしても仕方がない」「専門知識のある人員の増員はすぐにはできない」といった意見が出るのは当然と言えるでしょう。

 人員体制の確保については、人工呼吸器の増産のようにすぐに対策をうてるものではなく、今いる人員でできうる限りの対応をしなければなりません。すでに都内を中心に、医療従事者の疲労は蓄積される一方であり、彼らの負担を減らす最大の方法は「患者を増やさないこと」です。

 4月8日に発出された緊急事態宣言により、東京都を始めとした緊急事態宣言対象地域では自粛要請がなされており、多くの市民がいつもと違う生活を余儀なくされています。しかしながら、COVID-19の流行拡大が続く中、命の最後の砦となる医療機関に負荷がかかり彼らが倒れるということは、市民のライフラインが絶たれることを意味します。私達市民ができることは「新型コロナウイルスにかからない、そしてひろげない」ということです。

 自粛期間はまだ続きますが、自分の命を守る、医療者を守る、という行動を一市民として続けていきたいと考えています。

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